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ナカラ回廊調査のためマプートから北部のNampula州の州都Nampulaへ

モザンビーク北部の中心都市ナンプラ、マプート、ベイラに次いで3番目の規模の都市でナンプラ州の州都、人口約30万人、農産物の集積地である。ここから我々の目的であるナカラ回廊の調査が始まった。ナンプラから内陸のクアンバ、クアンバから西北部のリシンガを目指した。そして、ナンプラに戻り、インド洋の港湾都市ナカラへ行った。 2006年3月25日から31日までこの地に滞在し、マプートへ移動した。

LAMが遅れに遅れて到着、やっとのことでナンプラ行きフライトへ乗り込む

2006年3月25日、ナンプラ行きフライトTM450が遅れに遅れて3時間あまりマプート空港で待つことになった。理由は、予定していてた機体をヨハネスブルグ行きの機体故障の埋め合わせに回したためだ。最近の出張でこのような遅れはなく、アフリカを感じさせることとなった。空港で待ちくたびれたころ、ナンプラ行きフライトであるB737が到着した。ほっとして飛行機へ乗り込む。国内線でもファーストクラスとエコノミークラスに分かれている。多分、手間がかかるので長距離は区別していないのだろう。

ナンプラまでのフライト時間は2時間5分、8時30分発が11時30分発になった。B737は乗り込むと直ぐに離陸の準備に入った。飛び立ったB737はマプトからインド洋沿岸に沿って北上、途中、ザンベジ川河口と思われるデルタ地帯が眼下から見えた。LAMの機内誌を見ていたら、マプート、ナンプラ、ダルエスサラームというフライトルートもある。このフライトは確かマプート-ナンプラ-リシンガだった。

(写真はナンプラ空港に着いたところ)

Nacala回廊とNacala港方面

ナンプラでB737を降り、空港の出口でレンタカーが待っているはずだと思いながら外へ出た。四輪駆動車2台、一台はトヨタHi Lux(南アフリカ組み立て)ともう一台はIsuzuだ。両方とも同じ5人乗りピックアップで四輪駆動だ。レンタカー代は非常に高かった。きっと南アでのシステムなのだろう、一日300キロ走ると450ドル程度になる。その割にはウインチなど装備が軽装だ。これから走る道は未舗装、しかも雨季の終わり、出発する前は雨季は既に終わっていると聞いていたがしとしととまだ雨が降っていた。道路がかなり緩いだろうと思った。

この2台に分乗し、予定していたナカラ港へ車を走らせた。ナンプラ-ナカラ間の道路は最近舗装されたばかりでどこまでも快適な道のりだった。

(写真はナンプラのラウンドアバウトからナカラ方面を望む。)

写真左端の道路標識

N8

Nacala 190km

Monapo 125km

Namlalo 86km

黄昏時のナカラ港、そしてナンプラへ戻る

Nampula-Nacala RoadNacala Portナンプラからナカラまで190km、日没までに往復は無理だろうが道路が良いので予定通りナカラ港まで走ってみることにした。そして、黄昏時のナカラ港を見てナンプラにとんぼ帰りした。ナンプラ港は最終日にアポが入れてあるので詳細はその時となった。

現地調査の準備とナンプラ市で宿泊先

ナカラはこの地方の中心地、情報が全くないのでドライバーに聞いたら大きなスーパーマーケットがあると言うので明日のために水や非常食を購入した。この店はマプートにもあり南ア資本であった。

ナンプラでの宿泊先は、Residential Recol(USD50)、マプートから予約してもらったホテルだ。リシンガから戻った時に再度泊ろうと連絡したが、会議があり満室だった。しかし、そのおかげでこのホテルよりクラスが下と上の他のホテルも経験できた。

地方ではコストパフォーマンスの追及は難しい、宿泊料金はこれでもマプートより高い、安全に寝られシャワーが浴びられればそれでよいのだ。

ナンプラかNiassa州クアンバへ

翌朝、ナンプラ鉄道駅へ

翌朝、2006年3月26日、これからクアンバへ行く予定にしていたがなぜか余裕で鉄道駅を視察した。ナンプラはモザンビーク北部の中心都市であり、農産物の集積地である。ポルトガル領時代に建設された鉄道がインド洋に面するナカラ港からナンプラを経て、クアンバ、そしてリシンガを結んでいる。クアンバ-リシンガ間は現在は運行されていない。鉄道はクアンバから分岐し、マラウイのブランタイアまで接続されている。鉄道は貨物が中心だが、クアンバーナンプラ間で週2便程度、旅客用が運行されている。特に道路が不通になる雨季は重宝するだろうが、乾季は車のが早いだろう。

いざ、クアンバへ

クアンバまでは335キロ、未舗装道路を走破しなければならない。しかも路面はまだぬかるんでいる。ところどころで車がスタックして、道幅が狭いことから通行止めになっているという情報も入ってきていた。されど、今回の目的であるナンプラ-クアンバ間の道路状況は全ルートを踏査しなければ話にならない。

参考にしたのがマプートの国土地理院で購入した20万分の1の地形図だ、が、どうも路線が現状と違うようだ。他に頼りになるものはなく一筋の線(道路)と平行して走る鉄道と途中の町を頼りにしながら、間違っていないだろうか実際の町や標識とを照合しながら進んだ。

■ナンプラ-リバウエ間 134キロ

■リバウエ-マレマ間 105キロ

■マレマ-ナンプラ・ニアサ州境間 74キロ

■ナンプラ・ニアサ州境-クアンバ間 36キロ

リバウエの町でランチブレイク

Ribaue快適に走行できたのは未舗装道路ながら路面の維持管理がされている区間だけだった。そのような道路はナンプラから1時間も走らない距離で、それからは速度を落として注意深く走行せざるをえない道路になり、走行速度は非常に遅くなった。しかし、他に道があるわけでもなくひたすら西へ向かった。

時々、数年前に整備されたと思われる標準規格の橋が現れた。これらの橋は日本の無償資金協力で整備されたのだ、今回はこれも調査対象だったので毎回車を止めて橋の状態を確認した。当然ではあるが橋の前後だけは舗装されていた。なぜこのような状況になっているかといえば、日本が約束を果たし世銀がその約束を反故にしたためである。

前方に山が見える町に差し掛かり、これから先が更に険しくなることが予想されたので昼食を兼ねて休息をとる。しかし、昼食として食べるものがあるのか確認しているわけでない。こんな田舎町でもビンのペプシが売っていた。食べ物はその土地で取れるものしかない、一番手っ取り早いのが果物だ、そこでバナナを2−3本食べてランチにした。

Ribaue 付近でのスタック

リバウエでのランチの後、先を急ぐが道路の真ん中が川のように水が流れ、路面が柔らかくなっている。そこを注意深く車輪がはまらないように進んだ。しばらくしたら前方にトラックが見えた。

近づいていくと、このような道路状態にどうしてこんな重量のある大型トラックがいるのだと思ったが、案の定、車輪が路面に沈み込んでまったく動かない。そしてこの2台が道路を塞いでしまっている。

村が近いのだろう、村人総出でスタックしたトラックを遠目から見守っていた。されとて、車輪が半分以上も土の中に潜ってしまっているので打つ手はない。レッカー代わりにこのトラックを引っ張れるトラックを持ってこないと自力では抜け出せそうになかった。

先を急いでいる我々はその横を何とかすり抜けて先へと進んだが、後続の1台が路肩を外れてスタックしてしまった。こういうときにウインチがないので運転テクニックに任せるしかない。このときはロープがあったのでそれを使って牽引した。このときはまだ明るい日中、難なく脱出できたが後に暗闇でスタックした。

道路と並行するCFM北部鉄道

CFM Railwayナンプラからクアンバへは道路と並行して鉄道が走っている。貨物がほとんどで旅客は週数回に限られている。この鉄道は、クアンバを経由して、マラウイへ接続され、ブランタイアやリロングエへと結ばれている。リロングエから更にザンビアの国境まで既設の線路があり、将来的にはチパタまで延伸する計画がある。

このCFM北部鉄道は、ナカラ港の運営とともにコンセッション契約で民間が運営している。2005年に運営を再開したばかりでこれから機関車も増やすらしい。マラウイにとっては物資を運ぶ生命線、また、モザンビークにとっても、マラウイの先のテテ州からの代替輸送ルート、沿線のニアサ州及びナンブラ州へのアクセス向上など期待が高い。(写真はマレマ付近のコンテナ貨車)

夕闇迫るナカラ回廊と夜間のスタック

マレマの町を通過したときには18時を回っていた。ここにはホテルがあるので今日はここまでとする意見もあったが先へ急ぐことにした。日没が近い、できるだけ明るいうちに距離を稼ごうと先へ先へと進んだが、いつの間にか暗闇の世界になってしまった。運転手はそれでも何も言わず黙々と運転しつづけた。

ヘッドライトが照らすのは道路と路肩の草木のみ、まったくどこを走っているかわからないが、時々標識があり運転手に確認した。

まだクアンバまでは100kmはあろうかという場所で前方にスタックしているトラックがヘッドライトに照らされた。道を塞ぐほどのスタックは二度目、しかし、今回は暗闇だ。車を止めて状況を確認したら、道幅が狭いぬかるんだ道路の真ん中に大型トラックが車輪を取られ道を完全に塞いでいた。トラックには荷物と沢山の人が乗っていた。アフリカの人は暗闇では近づかないとよく見えないのだ。

今回も横をすり抜けようと路肩を確認するが、草が邪魔してほとんど余裕がない、しかも水が多い。つまり、路肩の草の下が沼地のようになっているのだ。運転手と相談し、車を軽くし横をすり抜けるしかないであろうという結論に達した。車を軽くするため全員車から降りて運転手一人で横をすり抜けてもらった。先頭車両は、道路の真ん中に鎮座しているトラックを避けて路肩の草の上を力強く前進させ、川のようになっている道路に車輪を取られそうになったものの前回同様、難なく突破したが、2台目のトヨタが道路の真ん中で車輪が空回りして進まなくなってしまった。

満天の星空の下でスタックから抜け出す

暗闇の中でのスタックは想定外、だがこれが現実だった。

既にスタックした車を何とかしようと近くの住民だろう、何人かが泥水の中でトラックを牽引するためにロープだったかチェーンを繋ぐ作業をしていた。

暗闇の中、スタックした我らのトヨタ四輪駆動車にロープを掛け、引っ張りだしてもらった。スタックした原因は2回とも同じ車とドライバーなのでなので、運転手が慣れていなかったとしか言いようがない。トヨタの四輪駆動ピックアップ(ハイラックスのようなタイプ)なのにウインチ一つ装備していないのはやや情けなかった。)でも運転手次第というこだ。

スタックして動かないトヨタを皆で後ろから現地人と一緒に押し、何とか抜け出すことに成功した。ほとんどが現地の人がやってくれたのだ。その中の一人が私の胸ポケットのタバコを見て一本所望したので礼のつもりで箱ごと差し上げた。煙草というのはこういう時の潤滑油として効果的だ、それが日本のだと更によい。でもスーパーライトは好まれない、マルボロなら赤だろう。

ほっとして空を見上げれば満天の星空、手が届きそうなくらい近くみえた。

夜間走行、Niassa州境から順調にクアンバへ

暗闇のスタックを抜け出ししばらくしたら、ナンプラ州とニアサ州の州境にあるルリオの町を通過した。川が州境となり橋が架かっていた。ここから急に道路状態がよくなり、未舗装ながら整地されていたため100キロくらいで真っ暗闇の中を突っ走った。運転手も早く着きたかったのかもしれない、クワンバまでは順調だった。

夜11時過ぎにクアンバ着、なんとか夕食にありつく

23時過ぎにクアンバのホテルに着いた。ナンプラ−クアンバ間335km、予想外の道路状況を16時間かけて走破した。何とか辿り着けたのは運転手の頑張りだろう、労ってから翌朝の出発時間を告げた。

昼食から水以外何も食べていないのでホテルに食事があるか否か確認し、あるものを出してもらった。かなりな奥地にもかかわらず、冷えたビールがあったことで皆は感激していた。料理は鶏肉の煮込みが出てきた。

長い長い一日だった。

ホテルの水はあまり出なかった。もちろんお湯など出るわけはない。水はきれいではないだろう、それでも顔を洗い、身体を拭きベッドにもぐりこんだ。まだ夜は冷えそうだった。大きなベッドだけが記憶に残っている。

つづく(クアンバ)

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