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マプート Maputo

モザンビークの首都マプート、独立前はロレンソ・マルケスと呼ばれ、風光明媚な港町として知られていた。モザンビークで先ず思い起こすのが、このロレンソ・マルケスという都市の名前とモザンビーク内戦だ。モザンビークは地図で見ると良くわかるが、南北2000キロに及ぶ縦長の国である。その、南の端、南ア国境に近い場所にマプートは位置し、マプート湾、つまりインド洋に面している。そして町は海岸段丘上に位置することから湾を俯瞰できる。こういう地形が風光明媚といわれたロレンソ・マルケへの貢献要素であろう。そして、マプートはポルトガル植民地時代に多くのコロニアルスタイルやアールヌーボー様式の建築が建てられ、程度の差はあれこれらの多くがそのまま残っている。

20年前、ザンビアに住んでいたときには内戦中で足を伸ばすことができなかったが、18年ぶりにサブサハラであるモザンビークへの出張でマプートを見ることが出来たのは光栄の極みだ。


ロレンソ・マルケス Lourenco Marques

ロレンソ・マルケス (Lourenco Marques) は、日米開戦前夜を描いたマリコ(柳田邦夫著)のなかに登場する。米国に宣戦布告した直後、米国東海岸に居住している日本人はFBIにより捕虜とされ、その第一回日米捕虜交換がロレンソ・マルケスマルケスで行われた。

丁度この交換船に私の友人の祖父が乗っており、私が聞いたときには既に他界していたが、その話を友人と彼の母親から幾度と聞いた。彼の祖父は商社のニューヨーク駐在員をしており、まさしく、FBIに踏み込まれるシーンは、マリコでの描写と酷似していた。

実際、現在のマプートとその捕虜交換が行われた場所が同一かどうか定かではないが、これは、現在のマプートよりもう少し南との噂もある、風光明媚な港湾都市で行われた国際法に則った捕虜交換とはどういうものだったのだろうか、興味が尽きないが、その後の戦況は痛みに耐えない。(写真はマプート市庁舎)

マプートの町並み

内戦開始後、新たな建物は建設されていないので全てのビルは1975年以前に建てられたと、到着早々に聞いた。それでも、ところどころに新しいビルが視野に入る。

栄華を誇っていた当時のロレンソ・マルケスを偲ぶ建物も多く残り、維持管理さえしっかりとしていれば当時の状況のままなのだろう。しかし、どこの植民地都市も同様、独立後は経済と同様衰退の一途を辿っているようだ。

しかし、内戦が終結後、一定の復興が実施されたのであろう、マプートを車で入っているとそんな雰囲気の町並みが要所要所見受けられる。

私が宿泊したPolana地区(かどうか定かではないが)にも大邸宅が海岸沿いに多くあり、当時のロレンソ・マルケスはこんな優雅さがあったのであろうことを想像させてくれる。(写真はニエレレ通り)

現代ゴシック様式の教会

市庁舎の隣にある真っ白な点を突き刺すようなデザインの教会。

ポラーナ地区 Polana

ホテルがあった地区がポラーナ(ポラナ)地区であろうと思われる。ニエレレ通りと海岸通りが平行しており、海岸側は邸宅が並んでいた。ホテルの目の前がニエレレ通り、そしてポラナショッピングセンターだ。その上は高級アパートになっていた。ニエレレ通りにはレストランが多く、食事の場所には事欠かなかった。この通り沿い、ホテルも多い。

(写真はポラナセンターの前、民芸品を売るオープンマーケット)

SHOPRITE

SHOPRITEというショッピングセンターが空港への途中、工業団地の近くにあった。南ア資本だろうか。世界中どこでもこのようなショッピングセンターが大流行だがマプートも例外ではない。ここにはWoolworthがあり、衣料品を含めてスタンダードのショッピングができる。その他、スーパーマーケット、レストラン、銀行など概ねなんでもそろう。

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